So-net無料ブログ作成

大牟田・三池のよかばんも!

大牟田・三池のよか話を綴っていきます。

 
前の1件 | -

大牟田・手鎌考 大牟田地方の原始、古代 [大牟田・手鎌考]

◎縄文時代

大昔の我等の先祖は川や海に近い台地や山麓に住み、
自然の草木や狩、漁をしてこれを食していた。

有明海の貝は常食として最も得易かったと思われる。
その貝殻の捨てたものが、長い間に堆積し貝の地層となり、

土器や石器或は鳥獣の骨、その他の遺物が混ざって出土する。
これを貝塚と呼んでいる。

大牟田地方の貝塚は三池郡の下楠田、大牟田市の荒田比、草木、
上白川、大間、四つ山にあったといわれている。

しかし、今頃は宅地造成や山地の開墾、土地の開発等により
殆ど姿を消してしまった。

この貝塚からの出土品により、当時の生活状態の一部を知る
ことが出来る。

大牟田地方で現存するもので最も名あるものが、荒田比貝塚で
ある。

この貝塚より出土したるものを大牟田市史では次の如くあげて
ある。

「出土品は赤貝の一種の『うねげ』という貝で蛤やかきは少ない。
 石器、弥生式土器の破片や骨類が散乱している。矢の根は安山

 岩製である。石斧も同様であるが、黒色の蝋石の磨製石斧が一個
 出土している。堆積層は破壊されているので、研究資料に乏しい。」

そしてこの時代には、既に年度で土器を作っていたが、その土器の
表面に蓆目か縄目の様な文様がある。

この時代は今から、五、六千年前に始まり、西暦紀元前百年頃まで
続いたとされている。

◎弥生時代

この時代になると、土器は低温から高温の千度程度で焼けるように
なり、前の手づくりからロクロ式でつくられるようになり、器形も
簡素で硬いものが作られる様になったので実用的になったのである。

この土器のことを弥生式土器というのであるが、之は明治十七年、
東京都文京区の弥生町の貝塚からこの土器が発見されたので、

前の縄文式土器に対して弥生式土器と名づけられ、この時代を
弥生時代と名づけられたのである。

之はほぼ紀元前二世紀頃から後三世紀頃にわたる時代である。

◎古墳時代

二世紀の終りから三世紀にかけて、今の奈良県にあたる大和に
皇室を中心とする統一が進み、四世紀には大和朝廷が全国を統一
したといわれている。

その頃天皇家をはじめ豪族は、各地に古墳を造った。

古墳というのは天皇、豪族の墳墓のことで地面を高く盛り上げて
つくった墓のことである。

古墳時代とは大体、西暦三世紀代から六世紀にかけてのこと
である。

大牟田市では沢山の古墳が発見されているが、我が学校区の
ものをあげて見る。

甘木山古墳 九基 甘木山グランドの上方に並んでいる横穴式石室

深浦石櫃山古墳 大小二基 舟形石棺

黒崎山舟形石棺 黒崎山のトタン屋根の格子の中に保管されている。
        昭和三十二年八月五日県指定文化財となった。

黒崎山の蜜柑山舟形石棺 これは黒崎山山頂に露出していたものを
        昭和三十七年保存のため、市内延命公園に移した。

        昭和三十八年県指定文化財となる。



「新考手鎌誌」山下忠智 より


共通テーマ:趣味・カルチャー
前の1件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。