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大牟田・三池のよかばんも!

大牟田・三池のよか話を綴っていきます。

 

大牟田・黒崎考 神社石段・修復記念碑 [大牟田・黒崎考]


黒崎磴道記の記念碑が神社石段の上・右側にあります。この度、碑文の解読調査を
いたしましたので、以下原文と解説を併記して参考に供したいと思います。

修黒崎磴道記(原文)

山上祠祀玉垂神住※神阿蘇神三柱蓋武内大臣遺跡事見千日本書紀等本祠創祀不可考古
傳記當罹千四禄天長二乙巳歳領主三毛師秀祀大日尊建祠云蓋為祓痘疫明治維新禁神佛

混淆禁止令〇里人日元禄五年領主立花氏初釜山峰通磴道再来皆係千立花氏廃藩後複不
〇〇委隋有年銀水村反旧大正三年同志相議令〇〇〇道長百五十尺〇二段〇地碕出望

敞郡之〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇不〇〇道共可
不修〇〇〇立花氏折三十圓補助斯勒負石

大正甲寅龍集立〇日山川誠之撰弁書

--解説--

登る道修復の記

山の上の祠には玉垂神、住吉神、阿蘇神の三柱が祀ってある。日本書紀等古い伝えに
よれば武内宿禰が立ち寄られた跡なり。

825年(天長二乙巳歳)には三毛師秀が痘瘡撲滅のため大日尊を祀り祠を建てた。
明治維新には神佛混淆禁止令が出された。

1692年(元禄五年)領主立花氏が山の峰まで石段を通した。

廃藩後立花氏から石段の修復の依頼があったので大正三年同志が話し合って登り道
石段150尺2段(148段)の修復工事を行った。

その際立花氏より30円の補助があった。

大正三年 山川誠 記す。

発起人

山口 円七 山本 伊七
山口庄太郎 中嶋久次郎
内野熊次郎 山本友五郎
山口房太郎 藤木清太郎
上津原勘造 松尾 久吉
柿原 萬蔵

石段石工

(開村) 江上芳太郎

碑名石工

(大牟田市)井上芳太郎

寄付者

深浦

一、金五圓   山本金太郎

黒崎

一、金五拾圓  山本 耕造
一、金四拾圓  松尾 多七
一、金三拾五圓 山口庄太郎
一、金三拾圓  大城虎三郎
一、金二拾五圓 柿原 多作
一、金二拾五圓 山口繁太郎
一、金二拾五圓 山口 円七
一、金二拾圓  中島久次郎
一、金拾五圓  中島 曽市
一、金拾五圓  内野 孫市
一、金拾圓   松岡 進士
一、金拾圓   多賀 安邦
一、金拾圓   松尾長五郎

一、金壱百拾圓八拾銭
        氏子中



神社石段・修復記念碑 伝説と古墳の里「黒崎物語」

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